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映画「ジョーカー」感想・考察(ネタバレあり) |これは悲劇か喜劇か

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10月4日(金)に公開された映画「ジョーカー」の感想と考察をまとめた記事です。

ヴェネツィア国際映画祭では最高賞にあたる金獅子賞を受賞しました。さらに本年度のアカデミー賞最優力候補としても名を挙げるほどの評価を受けています。

アメコミ映画でありながら、現代社会に警鐘を鳴らし、人々の心を抉る傑作を観た感想をまとめていきます。

※本記事は作品のネタバレを含みますのでご了承ください

「ジョーカー」の概要

公開日:2019年10月4日(金)
監督:トッド・フィリップス
出演:ホアキン・フェニックス/ロバート・デ・ニーロ/ザジー・ビーツ/フランセス・コンロイ
受賞歴:第76回ヴェネツィア国際映画祭 金獅子賞

あらすじ

本当の悪は、人間の笑顔の中にある。

 「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンを夢見る、孤独だが心優しいアーサー(ホアキン・フェニックス)。

都会の片隅でピエロメイクの大道芸人をしながら母を助け、同じアパートに住むソフィ―(ザジー・ビーツ)に密かな好意を抱いている。

笑いのある人生は素晴らしいと信じ、ドン底から抜け出そうともがくアーサーはなぜ、狂気あふれる【悪のカリスマ】ジョーカーに変貌したのか?

切なくも衝撃の真実が明かされる!(公式サイトより抜粋)

「ジョーカー」を観た感想・考察

ここからは「ジョーカー」の感想と考察についてまとめていきます(ネタバレあり)。
正直なところ衝撃が大きすぎて上手く言葉にすることができていませんが、最後までお付き合いください。

悪いのは僕か、社会か。

人が悪に堕ちるのはなぜか。本作はDCコミックを代表するスーパーヴィラン「ジョーカー」の誕生を描いた作品です。
過去に何度もスクリーンに登場したジョーカーですが、彼の誕生のストーリーは一度も語られることはありませんでした。

ジョーカーの誕生に迫る前に、ここで「人が悪に堕ちるのはなぜか」ということについて深掘りしていきたいと思います。
ヒーロー映画に登場する悪役の多くは、ある事件をきっかけに芽生えた復讐心や絶望が原因で悪の道に転落します。
例えば、2008年公開の「ダークナイト」におけるトゥー・フェイス(ハービィー・デント)がよい例でしょうか。
彼は恋人の死が引き金となり、バットマンに対し復讐の心が芽生え悪の道へと進んでしまいます。

このように、ヒーロー映画の多くで語られる悪の誕生は、正義から悪への転落という構図で成り立っています。
ですが「ジョーカー」における悪の誕生はこうした構図では語られません。
ここでは人間は誰しも悪であるという前提のもと、それを決定づけるのは社会や環境によるという文脈で語られています。

アーサーは脳に障害を持ち、貧しい環境で母親と2人暮らしをしている。仕事も上手くいかず、ストリートギャングに袋だたきにされる始末。
それに加えてゴッサム・シティに蔓延る空気、貧富の格差といったあらゆるものが彼に降りかかり、地下鉄で証券マンを射殺するに至ったのです。

このようにして人が悪に堕ちる原因となりうるのは社会であるということが本作では語られています。
アーサーは劇中で「悪いのは僕か、社会か」と自問しますが、これの答えは間違いなく「社会」でしょう。
脳の障害で突然笑ってしまう病気によって、周りから冷たい目で見られる→悪いのは自分である、とアーサーは考えますが、結局、脳の障害は母親の男から受けた虐待が原因でした(その男が虐待をしたのも、社会の空気感や貧富の格差が原因でしょう)。

これは実社会に対しても言えることで、悲惨な事件を起こした犯人たちは社会に見放されて孤独を抱えていたり、世の中に不満を抱えていたりすることが多々あります。
1970年代に公開された「タクシードライバー」でも、世の中を憂いていたタクシードライバーが、大統領の暗殺を企てるというストーリーが語られています。

偶然にも連なる負の連鎖。追い詰められた男の決断とは。

職場での失態から解雇されてしまい、路頭に迷うアーサー。
母から告げられた自分がトーマス・ウェインの息子であるという希望を頼りに、ウェインのもとに訪れます。

しかしそこで伝えられたのはウェインの子ではないということだけでなく、自分は養子だったという悲しい現実でした。
誰のことも信じられなくなったアーサーは病院で母の診断記録を調べます。

そこには自分が養子だったということに加え、脳の障害は母の元夫から受けた虐待によるものだと判明。

今まで愛してきた人に裏切られた悲しみからアーサーは母親を殺害してしまいます

偶然が重なって生まれた負の連鎖に呑み込まれるアーサーは、絶望の表情を浮かべながらも笑うことを止められません。

ここの演技が本当にすばらしくてスクリーンの前で震えが止まらなかったです。

悲しみにくれながら訪れたのは恋仲にあった隣人のシングルマザー、ソフィーの部屋でした。
ですが、アーサーの姿を見たソフィーは、恐るおそる「あなた、確かお隣のアーサーよね。」と、とても恋仲にあるとは思えない対応でした。

つまり、彼女とのロマンスはアーサー自身の妄想だったのです。
彼の妄想癖は、マレー・フランクリンのテレビ番組に出演していた妄想などからも予想できます。

そんな愛する人も自分の居場所も失ったアーサーのもとに、テレビ局から一本の電話が入ります。

1つ気になったのは、アーサーが冷蔵庫の中身をすべて出して自分が中に入るというシーンです。
あくまで推測なのですが、幼少期に虐待を受けた際に、逃げる場所として冷蔵庫を選んでいたのではないかと思います。
殴られたアザを癒すためか、また過去の資料にヒーターに縛り付けられていたなどの記録もあったので、そのために冷蔵庫に入っていたのではないか。
いずれにせよ、アーサーが過去に受けていた虐待の悲惨さを強めるために組み込まれたシーンでしょう。

「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ。」

人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見れば喜劇だ。」この言葉は喜劇王・チャップリンが残した名言です。

絶望の底に沈んだアーサーがたどり着いた結論、「俺の人生は悲劇だと思っていた。でも今は気づいた。これは喜劇だ。」、おそらくこれの元ネタにあるのは先述したチャップリンの名言でしょう。

チャップリンの言葉の趣旨は、人生の範囲をどう捉えるかによって見え方が変わることを示しています。
一方、アーサーは人生そのものの見方が変わってしまったことを表していると言っていいでしょう。

この瞬間から、アーサーの中で面白いか面白くないかが物事を判断する重要な尺度として生まれました。
自分に降りかかったどうしようもない悲劇をも、”滑稽なピエロ”という姿によって喜劇に見せてしまう。

面白ければそれでいい」の一言で殺人もあらゆる犯罪も正当化してしまうのが本作でジョーカーが見せた狂気であると言えます。

テレビ番組に出演した際は、司会のマレー・フランクリンに地下鉄での殺人について問い詰められた際には、「それは主観にすぎない。笑えるか笑えないかだ」というセリフを放ち、拳銃でマレーを撃ち殺します。

これはジョーカーの人生観の変化が出ていたといっていいでしょう。
僕の個人的な考えですが、テレビ番組からオファーをもらった当初は、自らを撃ち、大勢の人の目の前で死のうとしていたのではないか。

物語の中でも銃口を頭に向けて撃つそぶりを見せるシーンが何回か見られました(タクシードライバーのトラビスが見せたそぶりにも通じるものがありました)。

人生=悲劇の連続という捉え方をしていたのであれば、その締めくくりとして自ら命を絶つことはまっとうな展開であると思います。

しかし、ジョーカーは違いました。自らの死を持って悲劇を語るのではなく、狂気じみた喜劇を演出することで悪のカリスマへと生まれ変わったのです

「ジョーカー」の今後の展望について

「ジョーカー」という作品の今後について、個人的に思うところをまとめていきたいと思います。

続編の公開は?バットマンと戦うのか?

まず気になるのは続編の製作はありえるのか、宿敵バットマンとの共演はありえるのか。

これについては、監督が自ら「続編の計画はない」と明言しています。

作品の終盤にはバットマンことブルース・ウェインにまつわる因縁のシーンが登場したりと、バットマンとの繋がりを示唆するような要素も盛り込まれていました。

期待の声が高まれば、バットマンとの共演もありえそうではあります。
ちなみに、新生バットマンをロバート・パティンソンが演じることが決定しているので、こちらも楽しみですね。

今後の賞レースでの評価はどうなるか

アカデミー賞最有力と噂されていて、ヴェネツィア国際映画祭で最高賞を受賞したことにより、噂が現実になりえそうな予感もしますが、実際に鑑賞して思ったことがあるのでそれについて書いていきます。

おそらく、ノミネートは確実にされると思います。作品賞に加え、主演のホアキン・フェニックスは役作りも含めて評価されるべきです。

ただ、この作品を本年度No.1であると評価するには、相当の覚悟がないと難しいのではないかと思います。

ジョーカーが見せる狂気に心をえぐられたのはアカデミーの審査員も同様のはずで、これに表を投じるのはかなり勇気がいるのではないでしょうか。

今後の展開も含めて、まだまだ目を離すことができない作品です。


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